稲葉賀惠(服飾デザイナー) ・ファションに生きて
稲葉さんは東京で生まれ、鎌倉、横浜で育った85歳。 多くの芸術家を輩出した文化学院美術科を卒業後、後に夫となる菊池さんとアトリエを開き、ビギ、モガ、ヨシエ・イナバなどのブランドを立ち上げました。 今年2月に全国にある自分の店をたたみました。 その際閉店のお知らせを全国紙の全面広告を出したことが話題となりました。 この間一貫して働く女性がかっこ良く見える制服、洋服、目立たなくても袖を通して気持ちの良い洋服を世に送り出すことを心掛けてきました。 稲葉さんはどんな思いで ファッショ人生を歩んできたのか伺いました。
このジャケットは縦糸が黒で横糸が紺で見え方が黒っぽく見えたり紺色っぽく見えたりします。 これはシルクとポリエステルが混ざっていて、 伸びるんで着勝手がいいです。 服を作るためにはまず生地を知らなければいけないという事で、縦糸と横糸の関係を知る必要があるという事で縦糸と横糸を抜いて元に戻すという事をやりました。 そうするとどういう風に織ってあるのかがわかるんです。 これは10年以上着ています。 作ったものは大事に着ています。 飽きが来ないようにすることが私の趣旨です。
閉店のお知らせを全国紙の全面広告を出しました。 「今迄ありがとうございました。」という事をお伝えしたくて、全国紙の全面広告に出しました。 そうしたら広告の大賞を貰ってしまいました。 お客様から有難い言葉を一杯貰いました。 コロナで生地屋さんが辞めて行って、自分で好きなことが出来なくなってしまうのは厭だなと思って、辞めることを決めました。 手作りにこだわっていたので、生地を作る人がいなくなってしまったので。 機械化されたりして、やりにくくなっていきました。 私はアトリエが無いと絶対できない人なんです。 アトリエには縫い子さんがいて、カッターさんがいたりしていましたが、彼女たちも定年でぽつりぽつりといなくなっていきました。 アトリエもなくすという会社の方針になってしまいました。
女性の仕事着もやっていました。 1960年代、当時女性の地位のある方も着ているものがあまりぱっとしていませんでした。 個性を生かすようなものは普通のものですね。 普通という事は難しいと思います。 洋服が目立つのはあまり好きではない、その人の中身が目立つ方が好きです。 綺麗に身体に入ったものは綺麗に見える。
息子が小学生の時にジーンズをはいて送り迎えをしたら、校長先生から叱られました。 回りからいじめられたりもしました。 そういうナンセンスな時代もありました。 アトリエを開いて会社を作っていろいろなデザインを作っていく中で、女性が世の中に出始めた時期と重なりました。 だからそういう方たちに受けました。 10年間同じ生地を使ってやっていたら、生地屋さんも乗ってくれました。 黒は大好きで、必要なのは黒と白です。 女の人は黒を着ると綺麗に見えます。 生地でバリエーションを増やしていきます。
菊池武夫とは結婚しなければ良かった。 今でも仲がいいです。 離婚するときには嫌な思いもしました。 ずーっと親友でいたらよかったのかもしれない。 趣味が一緒だった。
受け入れられたのは、基本的なものをつくったのからかなあ。 手は抜かなかったような気がする。 ファッション界に築いたものというのは別にないです。 買ったものは絶対損はさせないと思いました。 普通だけれど普通じゃないというのが好きです。 キャリア―ウーマンとして生きてきたので、普通の奥さんが羨ましいです。 憧れです。 今は囲碁に夢中です。